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事実と解釈の違い

  20, 2019 12:00
こんにちは♪

玉手箱を開けて
煙を浴びたわけでもないのに
気づくと日々をワープしています
( ˘ω˘ )

さてさて〜
言い訳は置いといて
前回の続き…「事実と解釈」です。



やっぱりどうしたって
日々起こる事は最善で

その「最善」は自我君が作り出した
「幻想の最善」とは違いますが
自我君が知りようもない
それでも個の私にとっての 最善が起こってるので
なんでもかんでも
オールオッケーでいいんです
「最善」のの字のせいか
自分にとって良い事じゃないと「最善」だとは思い難いですよね


言われたところで幼い頃から
見える出来事を解釈し続けてきたのですから、あっというまに
「これはまずいでしょー」
「なんとかしなきゃ…自分で」

という発想になるのは
致し方ありません

なので
何が事実で何が解釈なのかという
線引きができていたら

思考ストーリーを見送る事も
できるようになり
エネルギーの詰まりを取るツールである「体感覚」に意識を向けやすいかなと。


「体感覚に寄り添うと
いつしか
現象としての自分を慈しみ
意思や選択ではなく
日々生かされてるという事や
それは致し方ない事ではなく
受容の連なりで起こる奇跡なんだと
わかるようになります

この世はとってもシンプルで
起こり続ける自分という現象を
ふふーんと観察してれば良いだけ
なのです

自分が何かを
コントロールできると信じこんでるから
自分も他者にさえも
「こうだったらいいのに」という
幻聴に真摯に向き合うんです。


では
「事実と解釈」の
例を挙げていきますね



▶︎あるお母さんからのご相談より

「高校に入学してすぐに、娘が
学校をサボるようになりました。
最近は午後まで寝ていて、お腹が
空いた時しか部屋から出てきません
これは引きこもりの兆候じゃないかと
心配しています」


このお話の中の事実は
「娘さんが家に居る」これだけです。
それ以外はぜんぶ解釈です

究極的には
娘も家も投影なので解釈に入りますが
これだと文章書けないですし(〃▽〃)
陥りがちな「全部幻想だから」になりますので
個の概念の無いものとして分けてます。


では
もう少し日常に寄り添った例を…

•旦那が連絡もせず飲みに行き
帰りが遅くなった

事実→旦那が帰ってきた

•職場の先輩が仕事が忙しいせいで
厳しい口調で私に意見を言った
事実→先輩が意見を言った

•朝急いでるのに、子供が中々着替えずにいる。
事実→子供がいる

•入りたかった会社に行けず、とりあえずフリーターをしている
事実→仕事がある


ーと
事実はとてもシンプルですが
二元性で物事を捉える自我君は
様々な解釈をつけてくるんです

決して「解釈」がいけないと
言ってるのではありません

その解釈をつけるために
自我君は必死なんですよね


こうして普段から
少しずつでいいので出来事に
対する「事実探しゲーム」を
してみてください

決して事実に対してつけた解釈を
自分責めの材料にしないでくださいね
その解釈こそがエネルギーの詰まりの
素材であり
後に、「気づき」に繋がるツール
になります。


ゲームの時は解釈はスルーしましょ

実はこの「事実」
絶対の受容なんです。
二元性の無い「完璧」なんです
「ただ起こる事」なんです

宇宙の緻密な計算により
現れてるエネルギーそのもの
なんです

事実は誰もコントロールできません

「体感覚で生きる」のに
この事実と解釈の違いを見つける
のがとても役に立つんですね

普段は解釈にさらなる解釈をつけて
それを解釈で解決しようとするので
「負の幻想」がドンドコ連鎖して
いくのですが

その中で事実を見つけ
一息つく事で
「体感覚」をじっくり感じる事が
できるようになります。

体感覚の感じ方は今後説明しますね
とはいえ
ただ体感を感じるだけ…と
とても簡単なのですが
簡単な事ほど「これで合ってる?」が
湧きやすいので
それはまた改めて。

今日も読んでくださって
ありがとうございました
٩(^‿^)۶

★更新はツイッターでお知らせします
◆◇@kiyooom73761◆◇

身体の声

  06, 2019 12:00
こんにちは

新年になりました
今年もよろしくお願いします(´ω`人)

今年は活動を増やして行く所存で
ございます。
ーと、今そんな考えが湧いているので
書いてみますが
以前から
興味がある方に実際お会いして
手取り足取り
「感情のエクササイズ」を伝授
していけたらなぁと思っていました

去年まで(後半はサボりつつ)
つらつら、くどくど
自我とはなんぞやを書いてきました

もちろん丁寧に噛み砕いていただいて
楽チンになってくださった方も
沢山いらっしゃいました。
改めて感謝です。

で 最近実感してるのは
「感情を観る」イコール「めんどくさい」になり…

段々「自分探検」から離れてしまうのですね

答えを言いますが
自分探検の目的地は
あららどこにも「私」なんて居なかった
なんですが

思考で思考を観察していると
どうしても道に迷い
迷子になった自分をまた責めるという
更なる思考のトリックにはまるので
「もうやーめた」
になってしまうらしいです

非二元でいうなら
それすらももちろんOKなんです

思考にまみれようが
その思考を嫌おうが

全部ただ起こること。。。

この視点でいうならですよ

ついでに自我すらも本当はどこにもないん
ですね(いまさらかいっ)

他者も自分も幻想にすぎないし、
日々をコントロールしている主体もどこにもいません

こんなブログは無意味なので

毎日「今日もただ起こる」
と更新すればいいだけです

それはそれで魅力的ですが\(//∇//)\


臨場感ありあり
「私感」

スルっとそれを採用できません

なので少し収縮してもらって
「個の私」がいるという設定で

なぜこんなに重箱の隅をつつくのかを
知ってもらいたいんです

仕組みはシンプルな「エネルギーの詰まり」
その詰まってるエネルギーを循環させるのも
とてもシンプルに簡単にできるのですが
簡単な事って「思考」は信じません

なぜ信じられないかというと「エネルギーの詰まり」

・・・・・・( ̄  ̄)


卵が先かニワトリが先かってくらい
の永遠のループです

なので
やっぱりやっぱり有効なのは
「体」で感じるエネルギーのエクササイズです

思考が邪魔をしても物質(体)は循環しているので
そのうち思考も追いついてきます
とはいえ
湧いてくる思考はどうにかするものではなくて、「気づく」ものです

そんな「気づく」を思い出せるように
次回から
日常の中の たった一つの事実と無数の解釈 の違いを
お伝えしていき、感情エクササイズは
実際にお会いできるよう企画しようと
思いますです、ご興味や質問がある方は
どしどしメールでもコメントでもくださいませ。

新年第一弾
のどさくさに
湧くまま書いていきますが

「私」の奇跡は

が考えて選択しが想ったから行動し
が何とかしたから物事は円滑に進み
が失敗したから悲惨な結果になり
が不安に対処したから好転したり
が不摂生したから身体を壊したり
の言動で誰かが傷ついたりしている・・・
と信じていること。


空に浮かぶ雲と同じ
ただ現れて漂っているのが「命」の実相です

今いる場所
部屋だろうと電車の中だろうと職場だろうと道端だろうと
その場所、その場面が全てで
そこ以外はないんです

「あの人にきっとこんな風に思われてる」が幻想です

「あの人にきっとこんな風に思われてる」
という「考え」が浮かんでるだけで
テロップのように見送るだけです。

「今年は厄年です」と何かで読んだりしたら
その文字があるだけです
「厄年」に対する「考え」も同時に浮かぶので
「じゃあ○○しよう」という考えも浮かぶかもしれませんが
それをしてもしなくても何も変わりません。

肉体の目で見える手前
肉体の耳で聞こえる手前

そこに
本当の世界が展開しています

とはいえ
終わりのない「命」にゆだねるしかないので
既にそうなっているのですがね(*´v`)

あたかも自分が一生懸命血みどろに闘ってるから
生きていられる。。。。
と信じてやまない「考え」は誰の物でもありません

今年は
スルスル~~と緩みましょう


今日も読んでくださってありがとうございました♪


★更新はツイッターでお知らせします
◆◇@kiyooom73761◆◇


















体感覚で生きるススメーの序章

  31, 2018 12:00
こんにちは

今年のシメとして
まずは「幸せ」についてを
分解していこうと思います

「幸せ」というこの字面に
何を感じますか?

幸福
幸せ
happy

つまんない事言うようですが
ただの「言葉」に過ぎません

なのにいつの間にか
追い求めて止まないものに
なっていますが
これも幻想

これまでさんざか知ってきた
幸せになるためのノウハウ…

これらを探求するということが
「自分はまだ幸せじゃない」
という大前提なんですね

実は
「幸せ」というのは
幸せ感」という感覚にすぎません


例えば
テレビや雑誌で見るような
セレブという呼び方する人達は
もしかしたら自家用セスナで旅行に
行くかもしれませんし
豪邸にも住んでるでしょうし
お誕生日にはたーっくさんの
著名人がお祝いに来たりの
華麗なシーンもあるでしょう
(ベタだな)

んが
そんな豪華な暮らしで得る
「幸せ感」も

自分が食べたいものを食べた時などの
日常の「幸せ感」も

そこに起こってる「感覚」として
なんら差はないのですね

THE幸せ!
の象徴に見える華やかな世界は
概念に過ぎません

幸せって
わざわざ定義付けして
追い求めるものではなくて

ぐっすり眠れた時や
お腹が満たされた時
綺麗な景色を見たり
胸に響く音楽を聴いたり…

などの時に起こる
ただの感覚なんです


それ以外の
「幸せっぽいもの」は
二次的な物語です。

幸せっぽいものは思考の産物ですが
幸せ感は身体に起こってるんです


3次元に生きてるこの肉体に起こるただの感覚を

これは恐れの感覚ーとか
これは幸せの感覚ーとか

勝手に分けるのは自我君の仕業で

ホントのホントは
どれもただの「体感覚」
(これを認めるのがとても難しいっ!)

そのただの「体感覚」のために
しかも自分で勝手に決めた
「これがあれば幸せ」のために

本来の自分が欲してる事を
脇に置き
あからさまな「幸せっぽいもの」
を追い求めてるのが
現代の生き方のように思えるのです。

幸せっぽいものを追い求めてるのが
ホントに幸せなら
それはもちろん否定していませんですよ(^ ^)

でも
その事のために「無理」して
自分を犠牲にするのなら

ちょっと美味しい物食べたり
いつもより余計に寝したりして

「幸せ感」を感じればいいんです

よく「今すぐ幸せになればいい」
といいますが
想像だけで「幸せ感」を思い出すのは
中々難しいとは思うので
こんな風に日常の中でも充分
「幸せ感」て感じられるんだ

って知って欲しいです。

強力な「幸せっぽいもの」を
見たり聞いたりしても
なんら揺れ動かなくなります

前回の記事にある
解釈を信じてしまうのも
「幸せっぽいもの」を追い求めてしまうのも

とてもシンプルな理由からです

それは
エネルギーの詰まり

最初の頃は
これをお伝えしたくてあれこれ
書いていたなぁと
思い出し、初心に還りました
(`_´)ゞ

まずは
エネルギーは詰まってるもんなんだと知る

その詰まりが観せる幻影が
たった1つの事象より
解釈の方を信じさせるんですね

そしてその詰まりを感じたくなくて
外へ外へと意識を向けさせる

そうです
自我君の仕業です
|ω・`)

「詰まり」を知り
意識を内側へ向けてしまうと
まんまと
自我君の正体が見抜かれてしまうから
そんな意識というスポットライトを
浴びたくなくて
「幸せっぽいもの」に向かわせるんです。

この活動に慣れてしまうと

ホントに求めてるはずの
目の前の幸せを見過ごしてしまいます

いつのまにか

身体はあって当たり前
生活用品もあって当たり前

その携帯が手の中にある事は
それを買える生活水準だからです

そして操作する指が動いてくれるからです。
目が見えるから読めるんです

なんならもう心臓が動いてるから
身体が機能してるんです
まで言っちゃおう(=^▽^)σ


こうして
すぐ目の前の「当たり前」は
幸せ以外の何物でもないのに
それが幸せという概念は
そのあって当たり前の物が無くならない限り起こりません。

そこにある幸せに気づいたら
を認められて

幸せ感を感じます。

この今とは
時系列でいう
過去と未来の間の今ではないんです

全世界を内包した
壮大なです。

だから何かを追い求めたり
他者からの評価を気にしたり

少し過去や少し未来を懸念して
悩んでいるなら

そんな幻想を吹き飛ばして
今ある幸せを見つけてください

その時自分の世界はぜーんぶ

追い求めたのではない
幸せという言葉を超えた
「安心」がやってきます。



言葉の限界…( ̄(工) ̄)



だからあなたは絶対大丈夫」
になる事をご理解ください


幸せっぽいものの
概念の要塞の中に入ろうとせず

誰がなんと言おうと
絶対の受容に愛されてる存在の自分。
その自分を否定するのは自分しかいません
(セルフイメージ)

でもその自己否定
エネルギーの詰まりによる現象であって
物質の原理原則です。

因果律ではないんですね

これを読んでるという事は
自分の中にあるものをこうして
文字という形で見直してるだけで

既にあったパラレルでしかありません

それを採用しようとしまいと
どちらもパラレルなので

正解不正解もないです


今までがサバイバルな幻想を
観ていたなら
これからはお花畑な幻想にしても
いいんです。

エネルギーの詰まりはその感覚に気づくだけで
消えていきます。

ところが

あまりにも鍛えあげた
思考マシーンは「そんな簡単な方法じゃダメだ」と赦してくれません

なので
日頃から体感覚を意識する事
エネルギーの詰まりはホントのホントに90秒で取れるという実践方法を

実際に手取り足取り
レクチャーするべく・・

来年から活動を増やして行こうと
思っております。

興味を持ってもらえて
一緒にエネルギーの詰まりを
取って、、いつの間にか
「無敵」になってるチームになれたら
素敵だなぁなんて妄想もしています

この世は二極です

今「自分が生きてる」
と知ってますね

ということは
「もう死んでる」んです。

ケンシロウの言う
「お前はもう死んでいる」は
ホントなんです(^^)

人生は深刻になる必要なんてないのに
いつのまにか
マインドが世界に隷属してきたかのような生き方になってしまいました。

世捨て人を勧めてるのではありません

エネルギーが循環すれば
毎瞬、毎瞬が愛しく感じられます。

てなわけで
年末であろうと年始であろうと

「静かにただ座る」

自分の浄化をしちゃいましょう
٩(^‿^)۶



今日も…
今年も読んでくださって
ありがとうございました。

年明けも覗きに来てください
m(_ _)m


☆ツイッターで更新通知しまーす
◆◇@kiyooom73761◆◇

1つの事象と無数の解釈

  25, 2018 07:55
こんにちは٩(^‿^)۶


手荒れがひどい今日この頃ですが
みなさまいかがお過ごしですか
( ̄▽ ̄)

ほんっっっとに
久しぶりの更新です♪

秋頃から色々と向き合う事柄が多く
久しぶりに疾走した日々でした

今まで
私はたまたまこの世の二元性に
気づき、それをシェアしたくて
あれこれ書いてきました。

自分のお仕事もセラピーの
ツールがいくつかあるのですが
それよりも
どうしても
「自分を自分たらしめるもの」に
ついてを伝えた方が「気づく」きっかけになりやすいので
「非二元」を語る事が多かったように
思います。

でも最近は言語の壁というか
どうしても表現しきれない
「感じ」が歯がゆくて
文章にする事を避けたくて
ブログの存在をすっっかり忘れていたのかもしれません。

という物語は
置いといて(^◇^)

さて
タイトルにしました
【1つの事実・無数の解釈】

ここ最近ずーーーーっと謎の頭痛に
襲われていてですね
日々の疾走&「痛み」にも向き合いながら、改めて知らず知らずに
スル〜っと忍び込んでる自我君の匠な
存続活動に感心していました。

危うく「痛み」に日々の解釈を
乗っけるところでした

セーフ…ψ(`∇´)ψ

てなわけでシェアします。

この「解釈」は
現実と呼んでる毎日の事なのですが

宇宙の法則でもある
「自分の信念が世界に見える」
というのと同じで

現象は中立に起こってるんですね
晴れたり曇ったりの気象となんら
変わりないので
善悪の判断をつけようもないのです

でもたった1つの事象に
自分なりの解釈をつけ
そっちを「現実」と信じ
不快なものなら悩んだり苦しんだり
に繋がっていくのですが

例えばよく表現される

「絶対大丈夫」

私も時々使います(^。^)

どうして
相手の状況もわからないのに
「大丈夫」なんて言えるのかというと

事実は中立だと知ってるからです

なので本当に本当に
大丈夫なんですが( ̄∀ ̄)

苦しみ真っ最中の時は
「こんなの全然大丈夫じゃない」が
湧いてきますよね

それは
どうしても事実ではなく解釈の方しか
見えてないからなんですね

これは「委ねること」や
「赦し」にも繋がっていて

ただ生かされてる存在なので
クラゲのようにユラユラ漂い
その動きや湧いてくる感情を
「そーかそーか」と観察するだけ
なのですが

中々「私」という臨場感は
何もかもコントロールしたがるから

自分の振る舞い1つで
この物語が変わるのではないか

自分さえ強い心を持っていたら
(そんなものないのですが)
こんな風に悩まないんじゃないか

挙句には
何か1つ悪もんを見つけて
「あれさえなければ」
という風になっていくんです。

それは
中立な出来事に対してつけた
オリジナルな「解釈」を信じたせいです。


「解釈」をする事がよくないのではないです
というかどうしてもしてしまいます

中立な事象を「出来事」と捉えた時には、自分の信念が見せる幻影なので見えてるーと同時に解釈は付き物
なのですね。

なので
それを知りながら
「そうやって解釈したんだな」と
観察します。客観的に見なおすんです。

自分という生き物を観察する
というのはこういう事です(^ ^)

生かされてる命として
観察すると
そこにはなんの不足も問題もないのが
わかってきて

見えたものに対処する事は
絶対ではないんだと俯瞰できます


とはいえ
どっちでもいいんですよ
対処するーという事が起こるなら
それが展開するだろうし

「んじゃやーめたなんもしない」
が湧いてきたら、そうすればいいし

どんな思いが湧いても
「それが起こってる」
を観察するというシンプルな事は
とても難しく感じますよね


多分日頃から
「自分に向かう」という事に慣れてないからなんでしょうが

情報社会ですから
様々なメデイアはもちろんのこと
携帯なんてその最たる物です

電車を待つとかの
ほんのわずかな空き時間でさえ
携帯の画面を見てしまう…
本当はそんな時こそ
自分の体感覚を調べて
今日のコンディションなんかを
観察するのに最適なんですけどね
( ̄▽ ̄)

そうやって自分に向き合うと

ほどなく色んな「真実」に
気づきます。

私とは
世界とは
他者とは…etc

あらら、ホントに
問題なんてどこにもなかったー
なんて事も腑に落ちたりします


ーと
これこそ自我君が1番怖れている事です。
そうやって見抜かれてしまうと
自我君が居心地悪くなるので
あれやこれやと外側へ向かわせ
「今」から引き離し
「もっと目指す何かがあるはずだ」
「今ではないこの先に幸せがある」
「ここではないどこかならもっと幸せなはず」
と囁きます。

出た出た

パソコンやスマホでこの記事読んでる
でしょうに
サラリと、そういうの減らしましょうって言ってます。
ワタシ(´ψψ`)

時代も地球そのものも
変わってきてます。

生き方ーも前例にならう必要は
ないんじゃないでしょうか

どんな生活をしていようと
自分のど真ん中には「大丈夫」が
住みつくように

何かに翻弄された時は
「なんでそれをダメとするか」
という問いかけをしてみてください

「◯◯だから」という
答えらしきものが現れなくなった時
に本当の答えが解ります。

求めている幸せは
実は素朴な「ホッとするような感覚」

だけなんですよねぇ

私達は知性あるエネルギー体な
だけですから


年内もう一回更新しようと思ってます
٩(^‿^)۶


今日も読んでくださって
ありがとうございました(^人^)

愚かであれ

  02, 2018 11:34
こんにちは(^-^)/

いえ
こんばんは(*・`ω´・)ゞ

3日前の下書き思い出して更新です♪


普段、悩みや苦しみを話してくださる人に

「それが問題だと知覚した次元では 何も解決しないので
その次元から出ればいい」とお伝えすることが多いですが

ーというのは
自分の知識と記憶が見せる
「これは良くない出来事」に対する
対処ではなくて
なんのレッテルもない自分が
どう在りたいか


の視点に立つことで
どうにもならない苦しみだと 思っていた事が緩み始め
問題なんてどこにもなかったと気づけるからなんです


その次元から出るって
どうやって?

自我君は必ず聞いてきます


簡単です

ほんのすこし目の前の
「今」に集中するだけ

ゆっくり深呼吸して
鼻腔を通る空気を感じたり

静かに目を閉じて
自分の鼓動を聞くべく静かになったり


そんなシンプルな事です。



思いというのは必ず具現化されます

具現化される思い とは
自我が語り顕在意識にあがる
「言葉」ではないもの。


実際に願いや望みを具体的にお聞きすると
その殆どが
今の日々に対しての対処や
今の日々を解消するような願望という
お答えが返ってきます。


それらは自我が思わせる事ですから
具現化されません

でもそれは良い面でもあって

時々頭の中に浮かんでくる
ネガティヴでバイオレンスな妄想も
具現化されませんから
「ネガティヴだから〇〇になった」
はありえませんので安心してください


自我君が出してくる虚飾のあれこれは
叶いませんが

自分の本当の思いに気づき
そこに意識の光を当てたなら
(そう思うんだね~と気づくこと)
必ず事象としての経験ができます

では本当の思いとは
どう見つけるのでしょうか

なので
かれこれ一年半お伝えしてきた

自愛なんです

常日頃からどんな些細な事でも
「どうしたい?」って自分に聞いて
あげる習慣を持つことが第一歩


男でも女でもなく
誰の親でも子供でもなく
誰の妻や夫でもなく

仕事も環境も
それらのレッテルを
全部、ぜーんぶ脇に置きましょう

前回の記事で書いた
自分への大前提にはこういう
紛れも無いと信じこんでる
事も含まれます


この宇宙に現れてる唯一無二の自分は
「なにが好きか」

ただそれだけを見つけるために
人生はあるのかもしれません


現実なんてどこにもありませんから
見える世界に深刻にならなくて
いいんです

今よりもっと愚かでいようと
してください

なぜか自由が増えますよ


今日も読んでくださって
ありがとうございました
m(__)m



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◆◇@kiyooom73761◆◇

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